次の日の朝、ボートへの淡い期待と川辺の朝日を求めて”元”舟継場へ。
やっぱりどれだけ探してもボートはなかったけれど、朝日が優しかった。
今は全部ミニバス。便利になりました。という言葉が残る。
もういっそミニバスでもいいから探してみようか。となり、ミニバスの横でタバコを吸っていたおじさんに声をかけると
”マンカ…知らないなあ。ただロングハウスならここから25分のところにあるよ。行きたい?”
とのこと。もうマンカは諦めよう。そう決めてせめてロングハウスだけはみようとおじさんに連れて行ってもらうことに。
ミニヴァンに揺られて、25分どころか10分ほど。
おじさんが車を停め、ここだよ。というと
コンクリートのなんとも現代的なロングハウス。
うーん、これじゃないんだよなぁ。。。
ロングハウスのリーダーが、あらお客さんか珍しいとお出迎えしてくれましたが
どうやら今は木材の値段が高騰して、長持ちしない木の家に住む人はもうほとんど居ないんだとか。
みんな便利に生きたい訳で、今は冷房もWifiもバッチリのこのタイプの家がほとんどだとか。
確かに、東京にもKLにも伝統はもはや創作物、観光客への芸術目的しか残ってないよね。そんなところからやってきたよそ者がこの光景を残念というのは少し失礼な訳で。
ただしがっかりしているのは事実。”木造の伝統的なジャングルライフはもうないのね。”と運転手のおじさんに言うと
”ああ、何?古い家が見たいの?なら俺の家結構古いよ。寄ってく?”
とのこと。
正直もう期待とかはなく、まあここまできて今帰るにもバスないし、寄ってみるかと諦め半分で20分揺られ…
到着しました。ジャパル・シンジョ集落。
…いや、おっちゃん、これだよ。これ!!
木造のロングハウスに、そこでのんびり新聞を読み外を眺めるおじいちゃん。
川沿いに生い茂る庭のココナッツ。
家畜として売りに出す豚
恥ずかしがり屋で外国人に興味深々の子供たち
ちょっとお風呂上がりでろくな服きてないから恥ずかしいと言いながらも写真を撮らせてくれる陽気なおばちゃん
そこにあったのは、静かな森に暮らす平和な7つの家族でした。
そして頭蓋骨が2つ。これ誰の首?と聞くと先代すぎて覚えてないけど日本人じゃないから安心してとのこと。
ただ先代が戦で狩ってきた功績なのは確かだそうな。
最初行こうとしていたマンカは日本人の頭蓋骨が吊ってあるらしいんだと私が言うと、大丈夫だよもう誰も狩らないからと笑われる訳です。
ロングハウスには必ず組織図があって、それぞれの分担があります。
サラワク州の決まりで、女性の人権を守るために女性の責任者分布と混合組織図が必ずあるそうです。
別にそんなのなくてもここの集落の長は女性とのこと。男性社会の多いアジアの村では珍しい印象です。
それぞれのロングハウスには、それぞれの家族の伝統的な言い伝えがあって
おじさんの家族の言い伝えは、先代が川の中のワニを訪ねて旅をして、ワニと友情の壺を交換したからこの壺があるうちはワニが川から登ってきてこの集落を襲うことはないんだとか。
そんな家宝の壺を見せてくれるというのですが
あれ、どこやったっけ?おい○○ちゃん、あれどこだっけ?と。
やっと見つけたところで、薄い布に包んであるだけ。どっかクローゼットの中にあったとのこと。
…家宝そんな適当でいいのか。笑
そんなところも素敵です。
ただ、先代はワニと会話して川底で大きな壺を交換したけど、陸に上がったらこんなに小さくなったんだ、これはお守り。俺たちはワニを尊敬して、川のワニの長老は俺らの壺を持っていると言うストーリーは本当、うちの家族の神秘的な伝統だと全員本気なのです。
こんな話を都会で聞いたらなんだそれ?だけれども、ここで聞くと美しさになる不思議。
こういった村はずっと残っていて欲しいけど、みんな便利な生活がいいに決まっている訳で。
この集落も今まさに裏でコンクリート冷房完備の新築を建設中で、来年の2月にこの木造ロングハウスは無くなってしまうとのこと。
木造の新築にするにも、木材が高いし長持ちしないからね。と。悲しいけれど、この感情はただの外国人のエゴ。しょうがないよね。
あなたたちが初めての外国人のお客さんだと言ってオレンジジュースを振舞っていただきました。
米酒は飲まない集落だそうで。オレンジジュースをいただいているとおじさんが
”ロングハウスが見たいっていうから一番綺麗で長いロングハウスに連れて行ったけど、君たちが見たかったのはこんな質素な家だったのね。”と恥ずかしそうに言うのです。
おじさんも初めての外国人。これが日常の彼にとって、私たちの求めていたものがよくわからなかった様子。
この木造の家、とても綺麗だし、こういった伝統に憧れるのが都会のオフィス通いのロボット生活が日常の人なんですよね。と言うと、今こういった村の人は少しでもまともな収入を求めて街に建設の出稼ぎに行くんだと。豊かさと美しさは共存が難しいねと言う少し悲しいお話に。
2−3時間ほどお邪魔した後、おじさんにタクシー代を渡しクチンへのバスへ向かい
帰りに少しウエットマーケットと夜市に寄り道して、早速ケニーに思い出話しをしにゆくことに。
マンカに行けなかったことに申し訳なさを感じているとケニーは言うけど、
そんなことは本当になくて、とても素敵な思い出になったというと喜んでくれました。
私たちが行くから黙っていたけど、マンカも相当貧しい村で
マンカの集落の人は伝統的に暮らせば数百円の米酒代とホームステイ代がいい副収入になると無邪気に信じているんだとか。
ただ、そこにたどり着くまでにホテルやツアー会社が数千、数万円のボートやアレンジ代を請求し、その事実をマンカのイノセントな村人は知らないんだと。
だから彼らは踊るし、一緒に飲む。その米酒までなぜか払ってくれる寛大な外国人というのが彼らの感覚。その数百円が彼らにとっては大金で、自分の暮らしを見せるとなぜか人が喜んで、米酒を買ってくれて、なぜかうちにお金を払って寝てくれるんだと。裏でもっとすごいお金を観光産業がとっていることは知らないで今日も喜んで外国人を歓迎しているんだ。と。
銃を持った相手に動じず首を狩ってた元戦士も、産業には勝てないんだよな。と、サラワクの悲しい伝統の裏側を教えてくれました。
でも知らない方がいいこともあるよね。とケニーはその話題を閉じると、一杯やろう。サラワクを気に入ってくれて嬉しいよ。とグラスを持ち上げ、乾杯、とグラスを叩きぐいっと一口。
大丈夫だ。好きなことや自分が幸せだと思っていることを信じていれば、それでいいんだよ人生。と言うと、自分の写真の話や秘蔵写真の裏の笑い話で盛り上がり、すっかりクチン最後の夜も老けたところで、今日はおやすみ。
翌朝ケニーオススメのサラワクラクサを食べて、さあ、コンクリートジャングルに戻ります。
バックパック旅の魅力はいつも、誰と会って何を話したか。
お洒落なカフェやガイドブックオススメの遺産は忘れても
ケニーはもちろん、タクシーのおじさん、スリ・アマンの街の人、地元の人たちと過ごした日々が一番の、そして一生の思い出。
この話、何年たっても喜んでするんだろうな。私。
また来るよサラワク。本当に素敵な街でした。
コメント