1年前のちょうど今頃、足掛け5年間過ごしたマレーシアのKLに”またね”と告げました。
そして今、ニュージーランドのオフィスで、日本人どころかアジア人もほとんど居ないオフィスで違いに揉まれながらお勉強の毎日です。
同じ”海外生活”とはいえ、この2つの国で起こることや求められる立ち振る舞いは、ほぼ真逆。
最初は馴染むのに苦労するだろうなー。と呑気に構えていましたが、10ヶ月経った今でもまだまだ課題は山積みです。
アジアと欧米のステップ移住を経て、見て、学んだ違いについてのお話です。
私はマレーシア→ニュージーランドですが、
マレーシア→オーストラリア/イギリス/アメリカ
インドネシア→オーストラリア/イギリス
フィリピン/ラオス→ニュージーランド
と、同じく東南アジアと欧米圏を渡った人たちの”あるある”話も盛り込んでいるので、東南アジアと欧米というおおまかなくくりにしてまとめます。
どっちが先かはともあれ、ステップ移住をお考えでしたら頻繁にぶつかる極端な違いたちです。
物事ははっきり言う欧米
あえて言わないor柔らかく言う東南アジア
みんな違うから、はっきりと物事を伝えないとわからないのが欧米。
その言い方は日本人にとってはかなりキツく感じることもありますが、それくらいストレートにしないと伝わりません。
言わなきゃわからないので、お互いにはっきりと自己主張することで共存が求められます。
みんな違うから、余計なことは言わずに相手に合わせておくのが東南アジア。
言わなくてもわかるからではなく、言ってもわかりあえないからハナから言わないのです。
または伝えたいことがあれば、徹底的に柔らかくすることでフトコロに侵入して要点に集中してもらうやり方が求められます。
お金、人種、宗教の話題がタブーな欧米
お金、人種、宗教の話題がアイスブレイクな東南アジア
欧米で初対面から、給料、出身やルーツ、宗教の話題は失礼とされることが多いです。
よっぽど仲良くない限り、肌の色や人種のジョークは自虐であろうと、とっても危険。
また、お給料や家賃、持ち物や旅行の値段も聞かれたことはまずありませんし、聞くのは非常識でしょう。
東南アジアでは自己紹介の次に、人種や宗教、お給料や家賃の話が来ます。これらを煙たがると話題がなくなり不便です。
”あなたはチャイニーズ?””あなたはムスリム?”という質問も名前の次くらいに聞くことも多いです。
人種や宗教を知っておくことで話す言語を変えたりその人に失礼のない行動を取れるという意図もあります。
簡単に謝るのは避けるべき欧米
自分が悪くなくても謝ることがメリットの東南アジア
ものごとをはっきりいうことにも関連していますが、
欧米でのSorryは非を認めるときに使います。
相手に何かを伝えるときにうっかり言ったSorryのせいで相手を混乱させるかもしれません。
東南アジアでは、相手の思想と違うことに対して敬意があるよの意味でSorryを言ったり、緊迫した雰囲気を断ち切るためだけにあえて謝っておく人がいます。受け取る側も、非を認めたではなく、大人の対応をしていると受け取ります。
また、相手が悪い時でも、これからはっきり忠告するよの前置きとしてSorryを使うこともあります。
(※とはいえ、交通事故の時だけは自分が悪くない限りSorry厳禁です。)
幸せは掴み取りにいく欧米
手持ちのカードで満足させる東南アジア
欧米ではチャンスは掴むもの。権利は勝ち取るもの。
考えて、動いて、掴むために切磋琢磨して、自分らしさを磨き上げる人の多さには頭が下がります。
また、同じように自分も動かないと取り残されてしまうことも。幸せは、掴み取るもの。
東南アジアでは、何かを勝ち取るより、あるもので満足することの天才が多いんです。
あれがない、これがないは当たり前。だからといって掴みに行くかと言うと、そうでもない。
ただし、みんなそれで満足なのです。あえて取りに行く必要がないのでそのままにしておきます。
自立している人が多く、寂しさを感じる欧米
常に誰かが近くにいて、過干渉がすぎる東南アジア
会う人会う人、みんな全く個性が違うのが欧米。
自分の生活圏と、自分のライフスタイルが確立されていて、個人の境界線がはっきりとしています。
お互いに干渉がないため、ドライで寂しさを感じることも多いかもしれません。
きょうだいと同じ部屋をシェアして育ち、会社のチームや学校の同級生とシェアハウスをしてしまうのが東南アジア。
毎日会っている人でも頻繁に連絡が来たりと、一人になるほうが難しい。
常に誰かといることが当たり前の人たちの、ベタつく人情がもれなくどこにでも一緒についてきます。
最後に:この違いは違いであって、そこに優劣はない。
いろんなことが、真逆かと思えば、たまに共通点もあったりするのが面白い2カ国移住。
今日は違いについてのお話をしましたが、この違いはあくまで違いであって、そこに優劣は全くありません。
ものごとをはっきり言うのが正しいのは欧米の価値観であって、
ものごとをあえて言わないのが正しいのが東南アジアの価値観なのです。
自分をしっかりと確立するのは欧米の価値観であって、
誰かが入ってくるスペースを残しておくのが東南アジアの価値観なのです。
マレーシア人が自己紹介の時に人種や宗教を聞くのって、
聞くことでその人の文化や言語を知ってたら合わせる=よりよい振る舞いができる。って言う尊敬の意図があったり、相手に合わせるために聞く。実際答えると相手の話す言語が突然変わったりも。
これを失礼、タブーだなんて、私は言えない。— ジプシーワーカーズ#NZワーホリ契約社員🇳🇿 (@gypsyworkers) 2018年11月12日
どちらにもメリット、デメリットが均等にあります。
この両極端な違いを、だから○○だと言うことではなく、どちらのカードも均等に楽しめるようになると行動の幅が広がりそうですね。